目からうろこ鼻からたらこ

建築系ジャニヲタ。

染み渡る毒に殺されて〜アマデウス考察〜


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主人公である松本幸四郎演じる宮廷作曲家サリエーリ

そして、今回照史くんは「神の寵児」という意味の『アマデウス』をミドルネームに持つ天才作曲家ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトを演じた。

モーツァルト:フランスにおいて芸術などに優れたものに与えられる特別な階級である「シュバリエ」を幼児の頃から与えられた天才

・コンスタンツェ:モーツァルトの奥さん

・ヨーゼフ二世皇帝:音楽好きだけどなんせ頭が悪いのと才能がゼロ

・シュトラック侍従長:皇帝の側近ポジション

・ローゼンベルク伯爵(国立劇場監督):シュトラックと皇帝の仲間であり、目力がヤバい

・スヴィーデン男爵(長官閣下・フーガの殿様):フリーメイソンの熱心な会員。真面目。

 

以上が主な登場人物だ。

 

開演5分前。

買ったパンフレットを見たり、ヲタク同士が話したり、双眼鏡を覗いてピントを合わせたりなどする中、舞台上の奥にそっと置かれた木製車椅子にのっそりと老人が腰掛ける。

 

一瞬劇場がざわつき、そして彼の存在に慣れた頃、

 

...サリエーリ...!サリエーリ...!サリエーリ...!

 

ゆっくりと暗くなる会場に

噂話をする声が、物語の始まりを告げる。

 

 

*サリエーリの告白

老人の正体は松本幸四郎さん演じる宮廷楽長(超偉い)サリエーリ。現役を退いてめちゃめちゃに老けてる。

30年前にモーツァルトを殺した、許せ君の暗殺を...!と、哀れな大声をあげる。

「梅毒(性病)で亡くなったはずのモーツァルトは、実は宮廷楽長に殺された?何の為に?」

それは退屈な貴族あふれる音楽の街、ウィーン中の噂になる。

その噂の真実について、彼が私たちに告白するというのが大筋。

私たち観客は、200年ほど過去を生きているサリエーリの告白を「未来の亡霊たち」として聞いているという設定だ。

真っ暗な客席が、サリエーリの「姿を見せておくれ未来の亡霊たち!」という思いをのせた歌と共に開演前程の明るさに戻る。

その時に、「おぉ〜見える見える」と嬉しそうなサリエーリ。(ここで3階席まで満員の客席を幸四郎さんに見せれてこちらもなんか嬉しくて客席に一体感が出る)

その後、大好きなお菓子を食べたり、自分についての話をしてくれるサリエーリ。この時点で私たちはサリエーリのことをだいぶ好きになる。なんせちょっとおちゃめな爺さんだからだ。

そして、彼は16歳の頃「社会と神に身を捧げる代わりに音楽で名声をとどろかさせてもらう」という契約を神と交わしたと告白する。

 

「お菓子が好き」「人生の成功のために神様に祈る」、誰しもが体験したことのある経験が彼の人生の始まりなのだ。

 

 

 

モーツァルト登場

なんやかんやあってマリーアントワネットの兄貴のヨーゼフ2世(皇帝と呼ぶよ)の宮廷で、気に入られ、成功したサリエーリ。

そこでモーツァルトという元天才音楽少年が成長してやってくることを知る。音楽家とあらばどんな曲を作るのか興味津々で、友人宅で行われるモーツァルトの音楽会に行く。

 

これがすべての始まりだとも知らずに。

 

部屋で休憩するサリエーリの存在に気付かずに、やべえヤツらがやってくる。

 

「にゃお♡!!!にゃーお♡!!!」

「チュー♡チュー♡」

「爪がにゅっ!爪がにゅっ!ひっかいちゃうぞ〜♡!!」

とイチャつくモーツァルト(照史くん)とその婚約者コンスタンツェ(大和田美帆さん)。

 

桐山担はここで大体「ウッッッ」と声をあげる。

ド美人と桐山照史が「うんこ!」「おしっこ!」とか言いながら、スカートめくりしたり、お尻にチューしたり、足を開いて「パカッ!うぁはははははは!!!」「ギャハハハハ!!!」ってやったりするんだ...

 

誰だか知らないけど下品で幼稚なことばっかり言うバカップルにマジでドン引きするサリエーリ。

 

しかしその会話をよく聞いてみると...

 

モ「トルアツーモってな~んだ?」

サ「(また変なこと言いよって...)」

モ「逆にしてごらんよ」

コ「逆???」

サ「(逆???...え?もしかして???)」

モ「モーツアルト!ギャハハハハハハハ!!!だから結婚したら君はエツンタスンコトルアツーモ!ギャハハハハハハハハハ!!!」

コ「嫌よぉ!!そんなのwwwww」

モ「ダ〜メ〜だ〜よぉ〜〜〜僕は結婚したら全部あべこべにしたいんだ!ほっぺじゃなくてお尻にチュー!!んーまっギャハハハハハハハハハ!!!!ん〜パカッ!(寝っ転がって股を開く)ギャハハハハハハハハハ!!!」

 

サ「(え????こいつが?!?!?!!!?)」

 

こいつがモーツァルト?!?!?!?!??!!!

 

サリエーリ、プチパニック。

 

これを台詞で表現するのではなく、声を出さずに顔芸だけで表現するサリエーリ(幸四郎さん)がとても面白い。

 

そんな出会いの直後、音楽会でサリエールは聴いたことのない素晴らしい音楽を耳にする。その作者こそさっきのバカップルのモーツァルト

「?!!!!?!!!?!!なんじゃこりゃ!!!!!!!?!?!!?!???!!!!」

サリエール、大パニックで屋敷を後にする。

紗幕を用いて星空を表現したセットがめちゃめちゃ綺麗。

 

 

自分の前に天才が現れた。

ここで物語のキーワード「神の声」が出てくる。

サリエーリはモーツァルトの曲に自分の音楽には感じれない、「神の声」を感じ挫折し、モーツァルトに会う事を避け、しかしモーツァルトの作品を集める。

 

しかし、彼が公の場に発表し評価されたものはどれも綺麗だけど退屈なものばかり。

 

サリエーリは、「そうか...!あれはまぐれか!どんな音楽家にも1曲くらいはあたりがあるというもの...そうかそうか!私はあんな稚拙で卑猥な言葉をいう男にも音楽が作れるということに驚いただけに過ぎないのだ」ととりあえず納得して平常心を取り戻す。

 

モーツァルトがサリエーリを知る

宮廷にモーツァルトが挨拶に来る。


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(右からサリエーリ、ローゼンベルク監督閣下、ヨーゼフ二世皇帝、シュトラック侍従長、スヴィーデン伯爵)

自分よりモーツァルトが格下だと思ったサリエーリは気分を良くして、モーツァルトが皇帝の間に入場する時に自作の行進曲を演奏しプレゼントする。

 

厳かな宮廷の雰囲気の中で、いつもの調子で

ピョンコピョンコへらへら、あーーはははは!と振る舞うモーツァルト

 

ここでモーツァルトが「宮廷の中で異色の存在である」こと、

モーツァルトの才能と無邪気さゆえの無神経さを印象付けられる。

 

サリエーリが作曲した行進曲をモーツアルト

「ん、この音が上手くいってないね!」

無邪気に編曲し

「あ~...良くなった!」と楽しそうに言う。


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はちゃめちゃに失礼な行為だが、編曲後の曲を聴いたサリエーリはどこか悔しそうなハッとするような表情をしている。馬鹿なヤツめと余裕の表情で見るほどの余裕はない。


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うっすらと心の底で彼の才能は本物だと気付き始める。

 

ここではモーツァルトという人物がとてもわかりやすく描かれている。

全体的にとてもコミカルで、桐山モーツァルトの軽快さが全開。

ジャニーズアイドルが俳優として舞台に立つ意味と、その中で照史くんというキャラクターが選ばれた意味が見えた気がした。

 

モーツァルト最初のオペラ

サリエーリの愛弟子のカテリーナちゃん(ケバい)を主役に抜擢したモーツァルト。テーマはトルコのハーレムでちょっとばかし...エロ。

モーツァルトのオペラは皇帝とローゼンベルク監督閣下(劇場の偉い人)には「音符が多い」と理解されない。

その時モーツァルト

「(サリエーリさんならわかってくれるはず!)」という目線をサリエーリに送る、

しかし

サリエーリも「理屈としてはその通り」と皇帝の意見に同調。

その時のモーツァルト

「え?噓でしょ?あんたそっち側の人間なの?」みたいな反応。

少しご機嫌を損ねたっぽい皇帝のことが気になりサリエーリを呼び止めるモーツァルト

モーツァルトはサリエーリに感想を求める。

 

実はこの後も、モーツァルトが感想を求めるのは皇帝以外ではサリエーリだけ。

モーツァルトがホンモノであるとサリエーリが気付いているように、モーツァルトもまたサリエーリがホンモノであると感じている。

 

モーツァルト、オペラ上演で指導をした(実はサリエーリが恋心を抱いていた愛弟子の)カテリーナちゃんに手を出してしまい、しかもオペラ上演が終わった後は投げキス1つでだけしかせずにコンスタンツェの元に戻っていくクソっぷり!

 

サリエーリは男としてもモーツァルトに嫉妬心を抱くようになる。

 

そしてモーツァルト、この頃からすでに梅毒に身体をむしばまれている。指揮中やふとした瞬間に内蔵を痛そうにさすっている。照史くんの細かい演技が光る。

梅毒の症状にはいくつかの段階があるが、内蔵が痛み出すようになるまでに感染から潜伏期間含めておよそ10年あまりかかる。当時の医療技術ではもはや治しようがないステージになっているのだ。

この時モーツァルトは26歳。

多く見積もっても16歳で感染したことになるので中々お盛ん。

桐山モーツァルトはめちゃめちゃモテる。女の子の生徒には片っ端手をつける。

だから大きな収入源となる生徒が数人しかつかず、お金が無い。

 

*堕ち始めるモーツァルト

当時の宮廷楽長の屋敷でパーティーで酔っぱらったモーツァルトはやりたい放題。

どんな罵詈雑言を放っても一生懸命モーツァルトをなだめるシュトラック侍従長閣下。

 

宮廷音楽をバカにする失礼な態度に困惑して怒ってたのに、モーツァルトがピアノを弾き始めると楽しくなっちゃう侍従長閣下。かわいい(笑)

 

トルコ行進曲を目隠しされたままで見事に弾きあげるモーツァルト。さっきまでの言動があれど彼はやはり天才なのだ。

 

 

しかし、モーツァルトはついに言ってはいけない言葉を言ってしまう。

 

「閣下もご存知なんでしょう〜?!皇帝が影でなんて呼ばれてるか、『けちけちカイザー!』ギャハハハハハハハ!!!」

 

皇帝を侮辱することは側近である侍従長も侮辱すること。

 

そして、それに気づかないモーツァルト

侍従長閣下はもちろん、それに準ずるローゼンベルク伯爵(劇場管理の偉い人)にも見放されてしまう。

二人は皇帝の娘さんが音楽家庭教師を探しているのを知ってるのにモーツァルトは頼んでも推薦してもらえない。

 

モーツァルトの妻への一面

モーツァルトは普段ヘラヘラしてるくせに、めちゃめちゃ焼きもち焼き。

奥さんがエッチなゲームをしてるのを見て今まで見たこともないような迫力で怒る。

 

 「何をしている!!」

「お引き取り下さい...!」

 

こ〜〜〜〜〜〜〜れが癖に刺さる刺さる!!!!

自分も女生徒に手をつけてることを怒られるモーツァルト、サリエーリには生徒がつくのに女生徒に手を出すから生徒が集まらないと奥さんのコンスタンツェに怒られる。

でもそんなことじゃへこたれないのがモーツァルト

「だってサリエーリはもうダメだもん!あれは勃たない人の音楽さ、でも?僕は勃つんだ〜〜〜〜♪」って言いながらステッキを股間の前で立たせるモーツァルト

もう最高に下品。

部屋の死角にある椅子に座って「(ぐぬぬぬっ....!!!)」と悔しそうな様子のサリエーリもめちゃめちゃかわいい。

 そしてまたイチャイチャが始まり、耐えかねたサリエーリは頃合を見て姿を現す。

彼にはある目的があった。


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サリエーリはコンスタンツェにモーツァルトエリザベート王女の家庭教師に推薦するための枕営業を求める。

 

モーツァルトが自分の大事なカテリーナを抱いたように、自分もコンスタンツェを、若くて瑞々しく、モーツァルトに活力を与えている彼女を抱きたくなった。


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そしてサリエーリは二人きりになる為にコンスタンツェにモーツァルトの手書きの楽譜を自宅まで持ってこさせる。

 

ついでのはずだった楽譜に衝撃を受けることも知らずに。

サリエーリはコンスタンツェを脅して嫌がるコンスタンツェにキスだけしかさせてもらえない。

 

そしてコンスタンツェの帰宅後、モーツァルトが毎回1部しか作らないという楽譜を見て、

下書きの跡がまるでないことに衝撃を受ける。

 

モーツァルトはただ「頭の中に流れている音楽」を書き留めているだけに過ぎない。

モーツァルトが圧倒的な天才であることを思い知るのだ。

 

そして気付く。

 

サリエーリは自分には『耳』しか与えられていないことに。

 

非凡と凡庸を聞き分けられるのに、自分が生み出せるのはどうでもいい平凡な音楽だけ。

そして自分と天才の違いを実感させられ続ける運命に絶望する。


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サリエーリは自分を凡庸と称しながら『非凡な』自分も自覚している。

非凡だからこそモーツァルトの才能がわかるって密かに思っているところが端々に垣間見える。

それを証拠にサリエーリは全幕を通して『神が自分に罰を与えないこと』について疑問は持っても

めちゃめちゃいい音楽を作るモーツァルトが評価されないことに対しては何も疑問を抱かないし、悔しさもない。

「今は評価されなくても、後世に残る音楽」

だと確信しているから。

むしろ、今は誰にも気付かれたくないと思っている。

インディーズバンドのファンみたいな心境だ。

もちろん、モーツァルトを引きずり下ろしたいのだから、当たり前と言えば当たり前だが、そこに「本当に分かってるのは自分だけ」というような優越感とモーツァルトへの執着心を感じさせる。

 

 性欲を封じ、社会福祉に貢献してきたのに、頑張ってきたのに、神は非情な苦しみをサリエーリに与える。

サリエーリはここで

「神を侮るなかれだと?人間を侮るなかれだ!今日より後、私とあなたは敵同士だ!」

と神に宣戦布告する。

 

今まで信じて、心の芯として置いていたものを失うのはつらい。

 

私たちの感情移入の先は、神に選ばれた天才モーツァルトではなく常に願望を持ちながらも神に選ばれなかったサリエーリの方にある。

 

*幕間

休憩に入る前に老いたサリエーリのシーンに戻る。

「膀胱は人間の付属器官であって、未来の亡霊たちには関係ないことだが...ワシのような老いたものにはしばしばお声がかかるものでな」

 

幕間の休憩は、サリエーリじいさんのトイレ休憩という設定にされる。

舞台と客席を、昔の世界と現在でテレビ電話をしてるかのような感覚に陥れる。

 

休憩終わりも

客席は明るいまま「シーシーシー...!」って猫を追い払う言葉で入ってくる。

照明が明るいままなのにざわついていた客席が一気にキチンと静かになるのは客席がサリエーリじいさんを好きになっている証だ。

 

 

*ただのアホっ子じゃなかったモーツァルト

神に怒りを覚えたサリエーリは今までの生活をやめる。

教え子のカテリーナを抱き「女への誓いもこれでご破算」

貧しい音楽ための活動関係の委員長をすべて辞任「社会奉仕の誓いもパー」

神への誓いとして行っていたことをやめ、グレて派手になるサリエーリ。衣装も水色から金色になる。

 
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一方モーツァルトは音楽を評価してもらえず、モーツァルトの曲は最初こそみんな賞賛するもその後はポイ捨てされる日々。暮らしも貧しくなる一方。

 

そんな中モーツァルトは「イタリア語のオペラを書きたい」と言い出す。

「本物の人間のストーリが書きたい、伝説物語のオペラじゃなくて!」と主張するモーツァルト

基本的にその時代のオペラは全てギリシア神話などの伝説物語だった。

サリエーリ、スヴェーデン伯爵、シュトラック侍従長の3人に向かって「今世紀に書かれたオペラは全て退屈でありま~す」

と椅子の上に立って高らかに宣言するモーツアルトにポカーンと口を開けて呆れる3人。

それを見て、さらに「ほらポカーンと空いた口が4つ!これこそ4重唱だぁ〜!」というモーツァルト

 

侍従長閣下はこうお考えだ♪『けしからんモーツァルトめっ!すぐに皇帝に報告しなくては...!』」

 

モノマネをしながらそれぞれの心情を語るモーツァルト

これがめちゃめちゃ似ててさすが照史くんという感じ。

 

そして侍従長閣下とスヴェーデン閣下は本当にそう思ってそうな言葉なんだけれどサリエーリの声は

「下品なドイツ人のモーツァルト!あいつに音楽のことなど何がわかるものかっ」

と声真似をする。

しかしサリエーリは本当は真逆のことを考えている。

モーツァルトはサリエーリの気持ちなんて知るよしもない。

 

そのあと、モーツァルトはこう続ける

「音楽は本当にすごいんですよ。劇作家ならそれぞれの心情を言葉にして順番に書いていかなければならないでしょ?

でも、音楽は違う。いっぺんに聞かせることが出来るんですよ。しかもそれぞれの言葉をきちんと聞かせながら...!あ、ボク何十分も続くラストを書こう~♪

四重唱が五重唱になり五重唱が六重唱になり重なり合った音は耳の中で混ざりあい全く違う一つの音楽になるんだ!

ハッ!きっと神様もこうやって人々の声を聴いているに違いない!そうだ!これが我々音楽家の仕事じゃありません?民衆の声を音楽に変えて神に聴かせる!

そして観客を神に変えるんだ!!!!!はぁぁぁ..........(想像して幸せそうな顔)..........あ、、、(キョロキョロ)なんつって!ブーッ!!!!へへへへへへ!!!!」

モーツァルトは周りの空気に気づいて茶化すんだけど、サリエーリはすごくハッとした顔をしている。

 

サリエーリは音楽は『神の声』と表現していた。

モーツァルトは音楽は『神に聴かせる声』と言う。

 

アプローチ方法は正反対なのに、ここにサリエーリとモーツァルトの共通項がある。

 

サリエーリとモーツァルトは音楽に対する考えが似ていると気づかされる。

 

去り際に「皇帝にオペラが出来たとお伝えください」と言ってのけるモーツァルト

 

「もうできたのか?!?」

「はい、もう頭ん中に。あとはさらさら~っと書くだけ♪」

サリエーリがモーツァルトの楽譜を見て気づいたことは事実であったのだ。モーツァルトはホンモノの天才。

 

*監督閣下に嫌われるモーツアルト

ついにイタリア語のオペラを書くモーツァルト

イタリア人である自分の得意分野を侵されたくないサリエーリはなんとか邪魔しようと監督閣下を巻き込んで上演を中止しようとする。

しかしこういう時に限って皇帝はモーツァルトの味方をしてしまい、画策は失敗。

サリエーリの予想通り、オペラの出来は素晴らしく、完全なる敗北を感じるサリエーリ。

 

しかし皇帝の好みではなかった為、上演は失敗。

 

ここでモーツァルトはサリエーリに感想を聞く。

 

褒め称えるサリエーリ。

評価されなかっただけに、いいものであると褒められれば褒められるほどモーツァルトが悔しいと感じるのを狙ってのことか。

 

モーツァルトは落ち込みながらも「これはね...オペラの最高傑作ですよ...こんなの他に誰が書けますか?!こんなのかけるの僕しかいないんだいないんだ...!!」と自画自賛

監督閣下の面目をつぶしてしまったモーツァルトはさらにどんどん仕事を失う。

 

先進的なモーツァルトの音楽は観客の受けも悪い。

梅毒も進行し追い詰められていくモーツァルト

もはやサリエーリが何をせずともモーツァルトは落ちぶれる一方。

なのにサリエーリは「あとはモーツァルトに近づいて彼の心情を知るのみだ」とニヤニヤ。

なんやかんや理由つけて結局モーツァルトの作品を聴きたい、彼の傍にいたいサリエーリ。

 

父親が死に、少し怯えたように「僕にはもう誰もいない」と言うモーツァルト。そばで何かと面倒を見てきたサリエーリの気持ちなどつゆ知らず。

父親が死んで唯一頼れるのは自分だと思っていたのに、なついたと思ってたのに...傷付くサリエーリ。

しかしめげずにサリエーリは「私が君の力になろう」と手を広げて抱擁を求める。

サリエーリを見て、その胸に飛び込むかに見えたモーツァルトはそのまま飛び込まず

「パパぁーーーーーーーっ!!!」と叫んで音楽の世界へ。

 

目の前のサリエーリではなく、彼の心は音楽で表現する「パパ」に向いていく。

 

その前にもモーツァルトはサリエーリの抱擁を拒否しているし、握手も無視されるし、神の声を手懐けることが出来ないサリエーリ。

 

フリーメイソンを題材にした『魔笛』を作ってしまう

いよいよ困窮し体調も悪く安酒におぼれ「灰色のコートの灰色の仮面の男」の悪夢を見るモーツァルト

しかし妻のコンスタンツェのことは愛し続け、妊娠と貧困と夫の病気にヒステリー起こすコンスタンツェを抱きしめ、「僕の大事なかわいい奥さん♡」「ほら、このキスどこから来る?あっ、ここにもキスが♡」と精一杯の愛情でコンスタンツェを包もうとする。

妊娠中のコンスタンツェと病気のモーツァルト、互いが互いを心配して自分の毛布を相手にかけ合うのが印象的だった。

このシーンで二人で毛布に車って歌っていた曲が

「パパパの二重唱」

出会って恋をした二人が運命の出会いの幸せをかみしめたり、子供が生まれてくる喜びを分かち合い神さまに感謝する曲。

 

そして悪夢の中の仮面の男はモーツァルトに「レクイエムを書け」との指示を出す。

現実だと思いつつも、本当に現実かどうか自信がなく、神の使いだと思い込むモーツァルト

 

 

そんな折、フリーメイソンの友愛の精神にのっとって厳しいことを言いながらもなんだかんだモーツァルトの根っこの気の良さを知り支援してくれるスヴィーデン長官閣下。

この関係を壊さないと完全に追い詰めることはできないと思ったサリエーリは

次の題材を「フリーメーソンにしてみたら?」とけしかけ、まんまとそれに乗ってしまうモーツァルト

魔笛を聞いたサリエーリはモーツァルトは神が吹く「笛」だと表現する。

こんなに弱り果てているのに、いつまで神は笛を吹き続けるのか。

そしてサリエーリの差し金で観に来ていた長官閣下は激怒し、ついにモーツァルトの味方はサリエーリ1人に。

 

モーツァルト追うサリエーリ

支援者は誰もいなくなった。味方はサリエーリただ一人。

と思っていたのに、モーツァルトが全然自分のところに来ない。

なぜだ?

噂によるとモーツァルトは窓際のテーブルで必死に曲を書きながら時折窓の外を怯えるような目で見て誰かを待っている様子らしい。

そうだ。私は知っている。モーツァルトが待っているのはレクイエムを書けと言った灰色の仮面の男だ。

モーツァルトが待っているのならば、自分が仮面の男になろう。トドメを指すのだ。

灰色の仮面をかぶモーツァルトの家の窓の外に行き、怯えるモーツァルトに向かって毎晩指折りのカウントダウンをする。

死ぬほど悪趣味。

そして指折りの指がゼロになった時、やっぱりモーツァルトは思ってた通り自分を部屋に呼び入れた。

モーツァルト自信がかつて作ったオペラ「ドン・ジョバンニ」の中で、「女性3000人切りをしていた色欲魔のジョバンニに生き方を変えるように迫るも、生き方を変えないジョバンニに対して時間切れだと地獄の扉へと引きずり込む石像を、その運命を知らずにオペラへと招待したドン・ジョバンニの言葉」で、灰色の仮面の男をモーツァルトは部屋に招き入れるのだ。

 

そしてモーツァルトの部屋へ行くサリエーリ。

神のつかいだと思っているモーツァルトは目が合うことを極端に恐れ、怯えながら

「すみません、まだできてないんです。あとちょっとなんです...!」

と途中まで出来上がっている曲をサリエーリに見せる。

 

その間、子供のころは幸せだったと父親に愛された過去を話すモーツァルト

 

「ぁぁ...僕の人生あんなに順調に始まったのになぁ...昔は毎日が充実してて誰もが僕に微笑みかけてくれた、見るもの全てが美しく泊まり部屋はすべて美粧に溢れ、皆がロウソクを灯しぼくの手を引いてピアノの前まで連れていってくれた。

フランスではフランス王女僕に手に優しくキスをしてくれた。

何百曲と曲を作ってきたけど満足いくものなんてひとつもなかった...!!!

ボクの人生はどうしてこんなことになってしまったの...?

そんなにボクが悪かったですか...?

神様の代わりにこたえてください!」

 

と仮面をつけたサリエーリに懇願するモーツァルト

 


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その瞬間楽譜を破るサリエーリ。

 


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「素晴らしいっ...、、、っ、、、!!!素晴らしい、、、!!!神の言葉だ..........!!!!!飲み下す...!!!」

と飲み込んでしまう。

口に残ってた切れ端を吐き出し

 

「...我々は毒を盛られたのだよモーツァルト。君は私に、私は君に。10年間の私の憎しみが君を死に至らしめるのだ』

と。

モーツァルトは目の前の男が自分だけが見ている幻覚ではなく実在する人間だと確信を得て、なにかに気づいたようにそっとサリエーリの仮面を外すモーツァルト


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「...!!!...サリエーリっ...!!!!」

 

とささやくように驚きの声を上げるモーツァルト

 

「そうだ私だ!!!」

 

驚きと裏切られた悲愴で思わず

「神様、」と漏らすモーツァルト

 

しかしもう神など大嫌いなサリエーリがすかさず叫ぶ。

 

「神?神助けてくれるものか、神は人を助けはしない、」

「神さま、主よ!」

 

「神は君を愛してはいないのだアマデウス!!!!

君が出来ることは死ぬことだけだモーツァルト!!

死ねぇ!死んでくれ!私の目の前から消えてくれいなくなってくれ...!!このまま私を一人にしてくれ!一人にしてくれ!!!」

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怯えて机の下に逃げるモーツァルト

机を叩きながら叫ぶサリエーリ。


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叩かれるたびに怯えていたモーツアルトの目がどんどん変わっていき、怯えるリズムが、呼吸が浅く早くなるモーツァルト

 

それが最高潮に達した時、

「パパーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」と叫び机の下から滑り出てくるモーツァルト

父親が死んだ時とは違う、甲高い子供の悲鳴のような叫び声。

 

「パパぁ...どこにいるのぉ?...僕はここだよォ...?パパー...♡」

 

人が壊れしまう瞬間を目の当たりにして戸惑うサリエーリ。

 

振り返りサリエーリを見つけるて嬉しそうに

「....!!(嬉しそう)...パパ~、抱っこして~』と甘える。

 

驚いて固まって後ずさりするサリエーリ。なおもじりじりと父親を求めてサリエーリに近寄るモーツァルト

「ほらぁ、その手を広げてくれたらさ、いつもみたいに飛び込むから…ねえってばぁ...

ほらぁよくやったじゃん、ホップホップじゃ~んぷっ」

と机の上に飛び乗る。

サリエーリがさらに怯えながらも近づき、肩でも揺さぶろうとするも

「ねえ抱っこして?」

モーツァルトの無邪気な甘え声に一瞬ひるむ。

 

「ねぇキスの歌歌おう?覚えてるぅ?オラーニャ♪フィアガータ♪ファ・マリーナ♪チュッチュ...オラーニャ♪...」

 

足をぶらぶらしながら子供の声で歌い続けるモーツァルト。もう目に力はなく、どこか地面の一点を見つめている。

 

そんな壊れてボロボロのモーツァルトの願いを聞き入れサリエーリはモーツァルトを抱きしめる。

モーツァルトはサリエーリにしがみつくようにギュッと抱きつき目をつぶる。

 

「見よ。深淵なる神の歌声が、赤ん坊の歌声に変わった。人間を引きずり下ろすという事は神を引きずり下ろすという事だ」

 

素晴らしい作品を作ったが評価されず、満たされることのなかったモーツァルト

心の潤いを求めて作品を作り続けたその乾きを癒すかのように法要を与えるサリエーリ。

サリエーリの胸の中で泣くモーツァルト

 

今までサリエーリの握手も抱擁も無視し、なつくことのなかったモーツァルトをサリエーリは初めて思いのままにすることに成功したのだ。

 

自分が望んでいたはずなのに傷ついた表情で去るサリエーリ。

壊れたオルゴールのようにキスの歌を歌い続けるモーツァルト。そこへコンスタンチェが帰ってくる。

 

「......?...スタンツェ、」

 

ブラブラさせていた足が一瞬止まり、パニック状態の幼児返りから覚めたように見えた。

泣きながら抱擁を交わす2人。

その後もモーツァルトは幼児返りしているが、そこには安心感があり、意図的に幼児返りしてるようにも見える。

「サリエーリにねぇ毒を盛られたんだぁ。サリエーリなんだよぉ...サリエーリが自分で言ってたもん』

とコンスタンツェに訴えかけるモーツァルト

コンスタンツェは子供をあやすみたいに「そうねぇ、もう大丈夫よ~」と声をかけながらモーツァルトを寝かせ、膝枕をしてあげる。

コンスタンツェの腕の中にいながらも「サリエーリ...!サリエーリだ!」と怯えたように目を見開き叫ぶモーツァルト

「もう誰も何もしないわ...大丈夫、私あなたの為に帰ってきたのよ、」とモーツァルトを優しく優しく世話するコンスタンツェ。

 

コンスタンチェは最悪の状況にあるモーツァルトに一生懸命話しかける。

レクイエムが流れ、弱々しく指揮をするモーツァルト

その眼には光がないがもう恐怖はない。

 

コンスタンツェが

「あなたと結婚した日が私の人生最良の日だった...」と話す。

私たち観客の頭の中には、下品にはしゃぎ回っていた若き日の2人、彼の「僕の大事な可愛い奥さん」の囁きを聞きながら二人で毛布にくるまった愛おしい時間が走馬灯のように駆け抜ける。

 

浪費家だったコンスタンツェが、

「家族4人で生きるにはそんなにお金はいらないわ」

「これから私たちにはあなたが必要なの」

そんな未来の展望を優しくモーツァルトに語りかけ励ますその中で、モーツァルトの指揮をする手は徐々に弱まり、愛するコンスタンツェの腕の中でモーツァルトは静かに息を引き取る。

 

モーツァルトの人生はここまでだ。(続く)

 

ジャニーズのマルチアングルの効果を映像学的に考えてみた。

様々なアーティストが、 行ったライブを映像として残し売り出している。 ライブDVDの登場によって、 時間やお金や労力をさほど使わずとも誰でもあるアーティストのフ ァン、ヲタクになれる時代である。

 

そんな中特にマルチアングルは、 踊ったり歌ったり会場をところせましと動き回るアイドルのパフォ ーマンスを楽しむのには最適な技法と言えると思う。

 

生の人が出てきて目の前でパフォーマンスをするという点でライ ブと演劇は同一である。

 

しかしながら、 演劇は客席には照明が当たらないことからもわかるように、 観客は常に演者が作り上げる世界を傍観するのみであるというのが 普通である。

対してライブは開演前に観客にペンライトやタオルなどを販売した り、 客席に証明を当てたり仕掛けを置くことがありうることから、「観客も 演者の一部であり観客含めての演出」をしている。

またライブをこのように演出し始めたのは、 ライブDVDを単なる記録としてではなく、 ファン以外の人らが見ることも考えた映像作品として製作されるよ うになってからのことである。

 

ライブDVD自体は何台ものカメラが撮影した同時刻の映像の中か ら特に需要があると思われる瞬間やシーンや視点をよりすぐって編 集することで構成されている。

 

つまり「ファンが喜ぶ作品」 であると同時に「興味を持ち始めている人たち」 に向けてのプレゼンの意味もある内容となっているのだ。

アイドルファンの人は少なからず「担当」「推し」 と呼ばれる一番のお気に入りのアイドルを決めている。

それぞれの「製作側おすすめのメンバーの良さ」 を見ることはライブという作品そのものを楽しむには良いかもしれ ないがそれと同時に「 このいい場面で自分のお気に入りのアイドルは一体どんな表情でど んなことしているのだろうか知りたい」「 自分だけが知ってるその人のよさを見つけたい」 と思うのがアイドルファンの心情である。

 

上記のことを前提としてマルチアングルを考えるとこれは完全にフ ァンにとっての機能であると考えられる。

マルチアングル機能は今まで受動的だった視聴者に視点の選択肢を 与え、 よりライブに行ったかのような追体験を補助することができる。

 

また、 近年このマルチアングルでは全体の視点の選択だけではなく、 ある特定の人だけに密着するような、「推し」「担当」 をつい目で追ってしまうようなファンのライブでの実際の視点によ り近づけたものも存在する。

 

これは、 ライブDVDの映像が客席やスタッフの視点で撮影されているに対 して、 クレーンカメラやドローンに取り付けられた撮影者が実際に目にす ることはできない光景を収める無人カメラの視点は演者自身が自分 の頭の中に描いている自分を俯瞰で見ている光景に近いものである 。

 

ここで送り手を制作側からアイドルへと移すと、 このカメラの視点こそが送り手が受け手に「 自分だけを見てほしい時の見られ方」である。 ライブでは遠かったり近かったり席によって見えたり見えなかった りする演出や演技やこだわりなどより細かいエンターテイメントを 見せる場としても有効となりつつあるのだ。
 
 

孤独な人魚たち。〜溺れるナイフの考察と感想〜



重岡大毅の、二作目となる外部作品「溺れるナイフ」を観てきた。

 
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 あらすじは、

神社の跡取り,コウという少年と、

東京から来たモデルのナツメが惹かれ合い鬱屈した思いをぶつけ合い、レイプ事件をきっかけにお互いに生まれたトラウマを乗り越えていくという話。

 

すぐになにかに例えたくなるヲタクなので今回もなにかに例えて溺れるナイフの、特にコウちゃんと大友の対比などについて述べていく。

 

 

*コウちゃん

彼は浮雲にある神社の跡取り息子。


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昔は神社の家系がそこの地主であることが多く、恐らく彼の実家もそうである。

映画では描かれていないが、彼は浮雲の人々から神さまの生まれ変わりだと言われている。

映画の中に出てくる、

「コウちゃんと神さん」は「イエスキリストと神様」の関係なのだ。

 

 

 

そんなコウちゃんの前に現れた、

東京からやってきたナツメ。

 


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小さい頃から特別扱いされ、なんでも思い通りになる浮雲の町はコウちゃんにとってつまらなく、そして同時に居心地がいい。

そんな中で現れた、唯一思い通りにならない彼女の出現がコウちゃんにとっては面白かった。

 

劇中でコウちゃんは言う。

「海も山も、ここにあるもんは全部俺のもんじゃ」

 

 コウちゃんは、ここにあるものしか自分のものには出来ないのだ。それ以外のものは自分のものにはできない。

 

コウちゃんはここでしか生きられない、

浮雲だけでしか生きられない、

海の中でしか生きられない人魚のような存在なのだ。

 

浮雲という海から出たら、うまく歩く足を持たない人魚。

 
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彼は、そのことを知っているが故に、遠くへ行ける彼女を美しいと感じる。

 

実はナツメも、芸能界という海がないと生きていけない人魚なのに。

コウちゃんは自分と同じ人魚に惹かれ、自分よりも広い海を泳げる人魚に憧れる。


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神が自分についてくれていると感じるコウちゃん、まさに

「小さい頃は神さまがいて毎日夢を与えてくれた」状態。

ユーミンも納得。

 

 

 

そんな時、あのレイプ事件が起こる。

 

 

この事件でコウちゃんになにが起こってしまったのか。

 

浮雲で全知全能のコウちゃんは、浮雲で起こることならたいていどうにかなった。

 

最強のコウちゃんは、

海や山すらも思い通りにするコウは、

東京から来た部外者の男にはどうにもできなくてただただボロクソに痛めつけられた。

 

神さんがいなきゃただのガキ。

 

自分が、浮雲以外の世界では通用しないとわかっていたけれど、それを知らないふりして生きてきた彼に叩きつけられた現実だった。 

 

これは浮雲で神さん扱いされていたコウちゃんの尊厳をバキバキにへし折った。

 

 

「初めておうた時、お前が光って見えたわ」

コウちゃんはナツメの絶対的な美しさを知っている。

だから水に突き落としたり、汚ったない溝的なところで突き飛ばしたり、顔にツバを吐きかけたり彼女を痛めつければつけるほどその美しさが浮き彫りになるんじゃないだろうか。

 

コウちゃんはどこかナツメに憧れている。

しかし、他の人みたいにナツメに憧れ、崇めるだけの存在としてはいたくない。


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彼はナツメの神さんでいることで、なんとか自分の存在とナツメの存在のバランスを取っていたのではないかと思う。
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実力のある人間に評価されることで実力があると思いたい。

 

コウちゃんにとって、

ナツメが望むように誇り高くあり続けることが、この町に、ナツメの傍に堂々といれる資格だった。

 

 

 

コウとナツメが海に行く時は、女の子の呼吸音が必ずBGMに紛れて聴こえてくる。

 

2人の人魚が会うのは海の中、生きるのに必要なものであり、同時に辛い過去であるのかもしれない。

 

 

人魚を救うのに失敗し、自らはその海に身を沈めた人魚は海の底ひで何を思うのだろうか。

 

 

 

*大友

彼は漁師の家の次男坊。


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コウと切りつけ合うようにぶつかり傷つくナツメの心を癒す唯一の存在。



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彼は登場人物の中で1番優しく強い。

長男で跡取りのコウとは違い、次男であるが故にこの街を出て生きていくことだってできる。

これがなければ生きていけないというものを持たない、縛られない自由な存在。

 

どこにいったって、アイスや野球、映画にカラオケ、色んなものを好きになることが出来る。

 
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彼は陸地を歩き、海も泳げる人間。

大友とナツメの海のシーンがないのも、海がコウとナツメにとっては特別な唯一無二の場所であるが、大友とナツメにとっては唯一の場所ではないからなのではないだろうか。

 

ナツメが自分の人生に巻き込むように傷付けて、一緒に海に引きずり込もうとしても、

人魚を抱えて太陽の当たる海面へと顔を出す、そんな力強さを持っている大友にナツメは惹かれ、でも同時に苦しい。

 

 

人魚は人魚としか一緒には生きていけないのかもしれない。

 
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 大友はアホな役を演じながらもとても繊細な感性を持っている。

 

出来上がって作ってもらったお弁当をくちゃくちゃと汚く咀嚼するクラスメイト、彼の目にはその様子が作られた情報を意地汚く摂取する醜い姿そのものに映ったのだろう。

ナツメが別れを切り出した時も、仕事ではなく原因はコウであると見抜いている。

 

 

しかし、大友は絶対にコウちゃんには勝てない。

それは、大友とナツメの別れのシーンで描かれる。

大友は泣きじゃくるナツメを押し倒して何度も言う。

 

「笑ってや」

 

このセリフ、全く同じセリフを言っていた人物がいる。

 

 

レイプ犯のあいつだ。

 

 大友とレイプ犯の違い、レイプ犯は笑え笑えと強要するだけであったのに対して、大友は「笑らせたい」と自分を省みる心を持っている。

しかし、ナツメ目線で描かれるこの映画において、本当は男の種類はコウちゃんとそれ以外しか存在しないのかもしれない。

 

 

 

 

この「溺れるナイフ」という題名。

 

コウちゃんはナツメにもう俺に姿を見せるなと言い残し、ナイフを渡す。

再び襲われた時に、ナツメの傍にあり一番最初にレイプ犯に牙を向いたのはコウちゃんではなくこのナイフ。

 

ナイフはコウちゃんの象徴で、ナイフは文字通り海に沈められ溺れる。ナイフの象徴であるコウちゃんはナツメに溺れ、自らの運命に溺れる。

 
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 原作ではナツメが東京に行ってしまった後、コウはどんどん尊厳を失い、ナツメに溺れていく。


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大友ももっとコウに牽制しまくるし、コウに勝ちたいという気持ちが大きいように思える。


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カナちゃんの複雑で異常な感情が加速していく片鱗を見せて映画は幕を閉じる。


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 しかしながら、映画で描かれているのはコウとナツメが一番美しかった時期を映像で切り取り、人間の嫌な部分が見えてくる前の大友とカナを描いている。

 

 私はこれが漫画の世界にはできない美しい「溺れるナイフ」の表し方であり、菅田将暉,小松菜奈,重岡大毅,上白石萌音の魅力を引き出す最良の作品であったと思う。

 

 自転車の二人乗りでトンネルに入り闇に消えて行った2人は最後バイクに2人で乗る。チラリと見えた光がナツメの顔を照らして映画は終わる。

 

 

少女たちのまぶたに残る、

美しい「私の神さん」はいつまでも美しい海の中を漂い続ける。

 
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VBB余談。(どうでもいい話と残る疑問)

全くの余談で〜す

 

今回VBBで描かれた吸血鬼は、MORSEで描かれたエリちゃんとは全く違った人物でした。

しかしかぐや姫の方は少しエリちゃんに似てる部分があるのかな〜っと思っています。

エイリアン的には最初かぐや姫というメチャカワな女の子として誕生して大成功していますが、なぜ竹井京次郎のような男の子に乗り移ったのか。

エリちゃんは不老不死の子供ゆえ、誰かに守ってもらわなければ生きていけなかったわけですが、

かぐや姫は守ってもらうとややこしいことになると学び、自らで自分を守れる肉体に移動したのか〜と思いました。

 

 

今回VBBで不思議だったことがひとつ。

藤志櫻を探しに行った神ちゃんが射った矢、これどう考えてもかぐや姫に刺さってるのですよね。

これだけが謎です。

かぐや姫は矢が刺さっても死なないということを言いたかったのか、しかしながら肉体はただの人間のはずなので矢が刺さったら普通にダメージを食らうと思うのです。

こればっかりは謎です。

 

 どなたか解釈されてる方いらっしゃいましたら御一報よろしくお願いします〜ッ!

エレベーターでさようなら〜Vamp Bamboo Burnの愛の形〜

2016年8/5〜10/31に行われた神ちゃんこと神山智洋の初劇団☆新感線参加舞台「Vamp Bamboo Burn」

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生田斗真くん主演、舞台人ならば憧れを持つものがほとんどというこの大舞台に神ちゃんは笑いと可愛さで大いに華を添えてくれた。

 

この舞台は、平安時代かぐや姫との恋に敗れたところ偶然ヴァンパイアになってしまった男が不老不死の体でかぐや姫の正体をエイリアンとも知らず、千年もの間追い続ける物語である。

 


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美しいビジュアルですが本当にこの藤志櫻様はアホの子でおられます。

 

出てくる人物はみなアホであり、普通の大人が持っているであろう感覚を持っていない人ばかり。しかしこの物語の中では誰もがみな一途で純粋な愛を貫いているのである。

 

ここではそれぞれの個性的なキャラクターたちの「愛」についての私の解釈を述べていく。

 

まずは

神ちゃんが演じた、貴族の付き添いで行ったのにかぐや姫に見初められた従者、蛍太郎

 

後に、「結婚式(蛍太郎とかぐや姫の)の二次会の司会をお願いしたかったです!」とクソ舐めた口を藤志櫻にきくアホ野郎ではあるが、合コンの席では藤志櫻の歌にいち早くのって上げたり、彼が話してる時にうなずいたり、舐めた態度など微塵もない。

藤志櫻を探せ!となった時もためらい、悲しそうな顔をしていた。「殺しちゃってもいいだろ?」と言われたあとのセリフ「そうですね、サックリいっちゃってください」が

「サックリいっちゃってください(低音ボイス&悪い顔)」から「サックリいっちゃってください♪」に公演を経るうちに変化していた。

これは最後まで藤志櫻への敬意はあるものの、単純でアホな蛍太郎像を見せようとしたのではないかと思う。

 

かぐや姫に選ばれた蛍太郎は、「かぐや姫と結ばれる」ことよりも「貴族を差し置いて選ばれた」ということに浮かれているように思うのだ。

実際にかぐや姫に手を取ってスリスリされる蛍太郎は緊張し戸惑い、ドギマギとするばかり。



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話が進んでいくにつれ、最初は恐縮していた蛍太郎とかぐや姫との会話の距離感がどんどん縮まっていく様子が可愛らしい。

藤志櫻がヴァンパイアだと露呈した時も、身を呈してかぐや姫を守ろうとしていた。

 

しかし、蛍太郎、なにせおっぱいが大好き。

そりゃ〜〜〜もう〜〜〜大好きなのだ。

 

目隠し鬼ごっこの時も、結婚前夜も、さらには現世でかぐや姫を見つけた時もおっぱいのことばかり考えている。もはやかぐや姫のことをおっぱいだとすら思ってないか?

藤志櫻がかぐや姫の魂を愛し続けるように彼はかぐや姫の肉体を愛し続けている。

 

ここで特筆するのは、これが普通の人間の感覚であるということ。相手の魂だけが受け継がれてると言われて、じゃあ大好きですと人を愛せる方が異常な感覚だと思うのだ。

 

また、蛍太郎は非常に身体的にも精神的にも弱い人間である。

武器を持っていてもヴァンパイアに噛まれ一度死んだ。喉が乾けば(かぐや姫がエイリアンとは知らなかったため)かぐや姫の生まれ変わりと知りながらも血を吸ってしまう。かぐや姫の血を吸ったのが、

藤志櫻は「同じヴァンパイアになって末永く共にいたい」

蛍太郎は「目の前にある愛する人の血を吸いたい」

であったように思えるのだ。

 

偶然ヴァンパイアになったとはいえ人間の血を吸うことをためらっていた藤志櫻。偶然ヴァンパイアになり、未熟がゆえに命を落とした蛍太郎。

蛍太郎は、異常なまでの愛を貫く藤志櫻に対する普通の男の子として描かれていたのではないだろうか。
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次は、蛇の目組親分

彼もまた蛍太郎に似たような愛を貫いていた。美人で若いナースのゴリ、アリサちゃんを愛人としていた。

蛍太郎は「相手を愛する気持ちも見せながら自分本意」だったが、組長は「自分本意な気質ではあるがアリサを愛していた」

 

アリサよりも先に血は吸うし、下の世話はしてもらうし。

 

しかし、最後、黒霧が「干からびろやヴァンパイアども!!!」と言い大窓のカーテンを開け放った時、組長は自分の羽織をアリサに被せ自分は日光に焼かれる。なんやかんやこの人も一生懸命アリサを愛していたのだ。

 

 

次に、かぐや姫

 

今回彼女は平安時代には普通の恋愛を楽しんでいる。


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ひたむきに頑張る蛍太郎の姿を見て好きになっちゃうなんて浅倉南かぐや姫くらいのもんだろう。

 

彼女は当初トゥーマッチな藤志櫻のことを好きじゃないだけで嫌いではない。

また 、藤志櫻の告白を受けて「重いの........嫌いじゃないです♡」と言い、戦国武将になったら家来になって守ってね,イルカになったらシーシェパードになって守ってねと言っているように来世での藤志櫻への期待(?)をも見せている。


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この気持ちが憎しみに変わるのは、蛍太郎を殺された時と噛まれた時。

平安時代かぐや姫は蛍太郎が殺されたことよりも噛まれたことにブチギレている気がするがクライマックスでの恨みは蛍太郎の死へと移行している。これは自分がエイリアンという意識が平安時代にはハッキリあったからではないだろうか。

千年という月日があり、ほかの異性と恋をしたことだってあったかもしれない。しかし恋をするたびに思い出すのは自分を守ろうと死んでいった蛍太郎、もう二度と会えないと思っている蛍太郎だったのではないだろうか。千年という長い月日が蛍太郎への愛を深め、藤志櫻への憎しみを深めていった。
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そして、屈折しきってはいるが、かぐや姫は限りなく憎しみに近い愛を藤志櫻に抱いているように思える。

 

虫麻呂が苦労したようになにか目的なく生き続けることは容易ではない。
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藤志櫻は姫を見つけ出すこと、

虫麻呂は簿記と空手と柔道とアロマの資格をとること、

そしてかぐや姫は藤志櫻に復讐することを目的として生き続ける。

 

これまで、かぐや姫がイキイキと生き続けてこれたのは絶え間なくかぐや姫を愛し続けた藤志櫻の存在があるからなのだ。

 

蛍太郎を殺したのは、実質、ホボカタたちの管理のずさんさである。それなのに京次郎は藤志櫻に「蛍太郎を殺した.....!一度ならず二度までも!!!!」と蛍太郎の二度目の死についても藤志櫻のせいにしている。

蛍太郎が森で食い殺された時、悲しんだのはたった2人。かぐや姫と、自らを抑えきれず蛍太郎を食い殺してしまった藤志櫻本人だ。徳永くんと蛍太郎が合体したバケモノが死んだのを知った時に藤志櫻は月9「いつかあの美しさを思い出して笑ってしまった」の撮影中。


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ここで藤志櫻もといTOSHIROは「徳永くん死んじゃったし、」と言っていた。これだけ話の要となっている蛍太郎に言及していない。これは、藤志櫻は蛍太郎が生きていたことを知らなかったのではないだろうか。

 

しかし、かぐや姫の理不尽な「蛍太郎の2度目の死」についての悲しみや怒りも彼はまとめてサンドバッグとなる。かぐや姫も彼が自分のサンドバッグであってくれると知っている。知っているが、認めてしまえば蛍太郎への愛よりも藤志櫻への憎しみの方が大きいことを認めてしまうような気がするのではないだろうか。

愛と憎しみではベクトルが違うが、同じように大きな熱量を持った思いであることに変わりはないのだから。

 

なぜこれが憎しみではなく、憎しみに限りなく近い愛だと言えるのか、それはクライマックス、かぐや姫がアリサの身体に乗り移ることでわかる。

演出上の話もあるのかもしれないがそこは今回置いといて、本当に憎くて殺したいと思っているならば、わざわざ人格が変わってしまったことがわかりやすい藤志櫻の身近な人間に乗り移るだろうか?私なら、全く知らない人間に乗り移って、油断しきっているところをぶっ殺す方が効率がいいと思うのだ。

かぐや姫は藤志櫻に認識して欲しいのではないだろうか。

藤志櫻の愛を受けとめたということにはならないだろうか。

かぐや姫もまた藤志櫻と同様に、長い年月によって異常なまでの愛によって変えられてしまった人物なのだ。

 

 

 

この物語で一番心情描写が少ない、とても謎の多い人物がいる。

その人物とは、

かわいそうなサカエちゃんだ(CV:竹井京次郎)

 

彼女は藤志櫻が振り向いてくれなさすぎて京次郎になびいてエイリアン側につく。
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しかし不思議なことがある。

前世占いのシーン 、アリサちゃんの前世を占った後、西武沼袋方面にかぐや姫の気配を感じたマダムとTOSHIROはサカエちゃんの前世を見ることなくその場を去ってしまう。
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しかし、スクリーンに映ったサカエちゃんの前世は悪魔のような確実にいい雰囲気ではない生き物。

あのスクリーンは真実の姿を映すものではないし、サカエちゃんはナメクジに寄生されてもいなかった。

ゆえに、あれはサカエちゃんのシンプルな前世だったと仮定して話を進めていきたい。

 

ここで思い出してほしい。

アリサちゃんは少なからずゴリラだった。前世の特徴を少しではあるが引き継いでしまう部分があったのだ。

サカエちゃんは、TOSHIROもといトシちゃんに対して、冷凍パックの血を捨てたり、劣化でヤバいことになってるのにしば漬け洗った水を飲ませたり、わりとヘビーなイタズラをする。

前世占いの結果がスクリーンに映る時、サカエちゃんは自分で自分の前世をわかっているような部分があったように思う。自分のあらがえない性格をわかっていながら、現世での最後の最後は前世の悪魔ではなく、人間の女の子としての、トシちゃんへの愛をみせた。

しば漬けの水を飲ませたり、ナメクジに寄生されてると嘘をついたりした自分を、トシちゃんが信じてくれるかどうか。

 

トシちゃんが自分を信じてくれることが分かったら、しかもそれでトシちゃんが生きれるのなら。

 

サカエちゃんは「ずっと、こうしたかってん.....」と悲しげに嬉しそうに言う。

かぐや姫を追い続けてるトシちゃんが自分に乗り換えてくれるとは思えないからトシちゃんのかぐや姫探しを容認し、利用されてるとわかっていながら、しかも自分は人間で彼は不老不死のヴァンパイア。もうめちゃくちゃである。

そんな中でサカエちゃんの望むものは、おのずと、「トシちゃんに血を吸われて死ぬ」。

考えれば考えるほどこれだけしか残されなくなっていったのではないだろうか。

 

 悲しい、悲しすぎもうビッシャビシャやでほんまやで........

 

そんなヴァンパイアを愛してしまった悲しみを味わうサカエちゃんの気持ちを知っているからどこか京次郎はサカエちゃんに優しいのかもしれない。

 

 

この舞台は、全員アホで愛おしくて、悲しみを笑いと不謹慎で吹き飛ばす、最高の舞台だった。

ヤクザvsエイリアンという設定だって昔の映画のパロディで、ヴァンパイアが愛する人を求めて生き続ける話だって世の中にはごまんとある。

しかしパロディを集めて集めて、定番のギャグも集めて集めて、宮藤官九郎という糸で繋いで、いのうえひでのりが料理して役者が消化すればみたこともないような最高にバカバカしくてかっこよくて、美しい舞台に仕上がる。

 

VBBを観たものは必ず思うだろう。

 

トゥーマッチな藤志櫻を、

強く美しいかぐや姫を、

爽やかアホかわいい蛍太郎を、

濃い顔とうっとおしいほどの沖縄なまりを、

99歳のテーブルクロスひきを、

ありまーーす!を、

適当な前世占いを、

語りベイビーを、

痛風だけど恋愛したいを、

やたら歌のうまい駅員を、

ヴァンパイア刑事を、

名前の間違いで揉めるヤクザを、

真っ暗な会場を沖縄の太陽の下と言いくるめてやった夏フェスを、

 

 

 

「千年先まで愛してる」と。

 

 

 

 

 

 

市場三郎〜温泉宿の恋〜とシアタードラマシティ


幕開けからやっとこさ、入館してきました。



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んんん〜いいお湯だった!!

今回はシアタードラマシティと市場三郎〜温泉宿の恋〜について考察したいと思います。


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今回は設計図がネットや本に載ってない上に、劇場内撮影禁止ということで、大変でした。
しかも、会場撮影がダメならということで、会場内のフロアマップ撮ろうとしたらそれもダメですとお姉さんに止められまして..........余計な仕事増やしてすいませんでしたお姉さん..........

濵ちゃんによるキャスト紹介VTRを観ながらスケッチして、会場を歩き回って吸音装置や照明設備を見て、
歩数や手の大きさで座席角度や詳細サイズを測って、

でも幕が開いた状態でずっとVTRが流れていたお陰で、どこの座席でどのような聴こえ方、見え方なのかがすごく観察しやすかったです。


シアタードラマシティは梅田芸術劇場の地下一階にある中規模劇場である。
上演されるのはミュージカルや落語が中心。
比較的実験的な演劇が上演されることが多い。
今回の市場三郎も類にもれず新しいジャンルの劇だった。



収容人数は898席 。
シアターBRAVA!が1098席というのに比べれば本当に客席と舞台が近い劇場だ。

足元もゆったりとしていて座り心地がいいと評判の劇場である。

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グローブ座との一番の違いは二階席のないワンフロアの劇場ということ。
横16m奥行14,5mというのは劇場としては横が短い方。

横が狭いと何がいいのか、端の席でも見切れるということがないので、壁ギリギリまで客席を作ることができ、さらに音の聴こえ方が中央とはじで変わるのだ。

そして席がギリギリまで作れるということが、
座席によって見方が大きく変わるということでもある。


グローブ座とシアタードラマシティとでは、
シルエットがメインのこのシーンの印象もだいぶ変わるのではないかと思う。

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さて、この劇場で課題となるのが音の響き。

狭い劇場故に音が跳ね返りすぎないように、最大限の工夫が凝らされている。



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まず写真の白いところに立った時、
ここでは15列目と16列目の間の壁に、舞台からの直接の音と舞台左右のスピーカーからの音がもろに混ざり合いぶつかるカオスな状態の音が聞こえる。


「「「ホォットパァ〜ン、だぁーれだあなたはホットパァ〜ン♪」」」

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というふうに混ざり合い響き合い、わんわんわんと音が聴こえる。


ホットパンツが現れた時、この通路はまさにホットパンツのハーモニーが響き合うホットパンツのサンクチュアリと化す。



公演開始前に立ってみたが、濵ちゃんによる自己紹介VTRがだいぶエコーのかかった状態で聴こえてきた。


しかしながら、15列目の人はそんな聴こえ方しなかったと思うだろう。
これは、15列目と16列目の間の通路幅が、跳ね返った音が通路に落ちるような幅に設計されているからだ。


また音を響かせないように音を吸収する吸音装置というストッキングの膜のような部分が普通、劇場にはいたるところに存在するのだが、
このシアタードラマシティは舞台脇スピーカーの真下に大きいものが2つと、16列目以降にちょべっと両脇に付いてるだけ。

これは両脇のザラザラとした石の壁が音を分散させているためだ。

これだけの狭さで、音をここまで響かせずに、いかにお客さんの耳に届く生音の比率を高めるかをよく考えた会場設計だと思う。

ホールでも生声がよく通る濵ちゃんが、アカペラで歌を聴かせる場には最適の劇場なのだ。




そしてこのなだらかな、傾斜。


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これが傾斜があり、舞台を見下ろしているのに一体感が出る秘密だ。

確かに少し前の人の頭が若干かぶる。

しかし劇場にいる観客に舞台に入り込みつつも、他の観客を風景とみなさせる。

濵ちゃんが歌うオーハッピーデイに手拍子で体を揺らし、会場全体が濵ちゃんと市場三郎を楽しんでいる幸せ空間を作り出しているのだ。

シアタードラマシティが
市場三郎とファン、ファンとファン同士の距離感を作り出しているのだ。



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この舞台では度々ミラーボールが使用された。

このミラーボールをうまく反射させるために、天井にも工夫があった。
ミラーボールの光は天井に反射すると、ミラーボールの根元に∞マークを生み出す。


これが客席に反射するなんてことがあったら台無しだ。
ミラーボールの光が反射しないように、∞マークの長さに合わせてミラーボールの根元の天井は柵状になっている。




この配慮のおかげでジャニーズWESTの舞台にも関わらず謎の巨大∞(エイトマーク)がララの足元に、なんていう事態にはならないのだ。

シアタードラマシティ、すごいんだぞい。

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シアタードラマシティは都会にある劇場にも関わらず、楽屋に窓があって開けることが出来る。
楽屋は地下ではなく地上階以上にある。

市場三郎が大阪にやって来た5/13〜14はピーカンピーカンの日本晴れ。

見慣れた梅田の街並みと、明るい日差しと、
外から聴こえるファンの声を遠くに聞きながら、
楽屋の濵ちゃんは千秋楽に向けてかなりリラックス出来たのではないかと思う。


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多くの若手役者がシアタードラマシティで実績を積み、メインホールでの公演を果たしている。

しかし、市場三郎さんがグアム旅行に私たちを連れていってくれる時はぜひ、またこの梅田芸術劇場のシアタードラマシティでお願いしたいと思った。


また市場三郎さんが、
ホットパンツの妖精が、
ララちゃんが、
秘宝館が、
やぎが、
ニートが、
野球少年が、
TAMERのような上司が、
素敵なざわざわが、
お手紙が降り注ぐロマンチックなあの世界が、

ポポーンと私たちの前に現れてくれることを願って!ぃよぉ〜ぉっ!(パン!)














思いっきりいまさらなMORSE解釈。

MORSEは我らが国民的弟、小瀧望の初座長舞台だった。


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私がのんちゃんのスノードームの世界に入ったのは
12/10の大阪のシアターBRAVA!、19:00〜の公演だった。


今まで関西ジュニアの舞台は見てきたが、担当グループの誰かの単独主演という舞台が初めてだった。

今回は、MORSEを観た多くの人が謎に思った照明や効果音、意味深なセリフの言い回しを解釈していこうと思う。


冒頭からオスカーはパンイチで登場する。閉じ込められたようなガラスケースの中からガラスを叩き、「ブタ..........何見てんだよ..........ブタ..........!」と繰り返す。


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原作の映画でこのシーンは、オスカーが夜の窓ガラスに映る自分に向かって言っているのだ。
オスカー、この時点でだいぶ自分がお嫌いなようだ。

学校ではいじめられ、
母は飲んだくれで息子に少し過保護な愛情を注ぎ、
父は別居し同性愛者の彼氏と同居し父親という役割を放棄、

おまけにオスカーの住むスウェーデンは曇りか雪が多い、だいぶ気分が滅入る気候だ。


そんな孤独な少年オスカーが、同じく孤独な少女エリと出会い恋をし、共鳴していく。




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エリちゃん。
彼女は昔昔に性転換している。
彼女が性転換したのはいつなのか?


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200年前の医療技術での性転換というのは相当な苦痛をしいられたはずである。なぜそこまでしんどい思いをしてまで性転換したのか?

それは吸血鬼だからである。
実際エリちゃんは自分より力のある男の人をパートナーとして獲得して今まで生きてきている。エリは年を取らず、ひ弱な小学生のままで行き続ける、故に助けてくれる男の人がいる方がいいに決まっている。

また、劇中でもあるようにエリは誰かに「入ってもいいよ」と言われないとどこかに入ることも出来ない。

一人では生きていけない存在なのだ。

吸血鬼になってしまったきっかけも詳しくは描かれないが、相当壮絶な出来事だったのだろうと察する。その中で吸血鬼として一人では賢く生きていくためにはどうしても性転換が必要だったのかもしれない。

この劇中で吸血鬼のことは「アレ」と表現され、決して「吸血鬼」「ヴァンパイア」とは呼ばれない。でものんちゃんの自身は舞台の告知の際のラジオで「吸血鬼の女の子」と言っているし、原作の映画でもエリのことを「吸血鬼」とオスカーが言う。

これは、エリを吸血鬼というイメージにとらわれがちな言葉だけで割り切ってしまうのではなく、あくまでも孤独だけど強いけれど、決して一人では生きていけない「エリ」という存在について考えて欲しかったからなのではないかなと思う。
確かに私から観たエリは吸血鬼というよりも、「人食い」という感覚の方が近かった気がするし、
ニンニクが嫌いで、日光に弱くて、十字架が苦手で、というようなイメージが頭をよぎることなく、エリとは一体どういうモノなのだろうと考えることが出来た。

エリは「吸血鬼」ではなく「エリ」なのだ。






そして、オスカーが昔飼っていた犬のブルーノ。
このブルーノは2つの重要な役割を果たしている。

1つ目は「臭いの象徴」。

エリの臭いを嗅いだ時にオスカーはエリの臭いを2つの言い方で表現する。

「包帯で巻いた傷口が膿んだ臭い」
まあまあエグい表現をとっさに思いつくもんだオスカー。

「濡れた犬の臭い」
ここから「昔犬を飼っていたんだ」とブルーノの話になる。

傷口が膿んだ臭いなんて、傷口はマキロンで消毒殺菌が常識の現代で嗅ぐことなんてほとんどない。

しかし犬の臭いはなんとなく飼ったことがない人でもわかるだろう。
そして原作の方にこの犬の表現はない。
見ている人にわかりやすいようにしているのだ。



2つ目は、オスカーの心の居場所、

飼い犬の故ブルーノくんが再登場するのは二幕。
「入ってもいいよって言わなかったらエリはどうなってしまうのか実験」をオスカーがした時だ。

入ってもいいよと言われなかったのにオスカーの部屋に入ってしまったエリは目やら頭皮やら背中やらから血がシミ出てきてそりゃあもう大変なことになる。
痛みに静かに耐えるエリを見て慌てたオスカーは自分のイタズラがやってはいけなかったことだと気付きエリをとっさに抱きしめて、「入ってもいい!いいよ!」と叫ぶ。

エリ「カーペット、血で汚しちゃってごめんなさい」

オスカー「いいんだ、ブルーノのせいにするから!、
                   あ、もう死んでたんだった。」

ここで暗転する。

このセリフで区切ることが不思議な人も多かったのではないだろうか。
これは恐らく、今まで暮らしてきたこの家での思い出や過去よりも目の前のエリの方の優先順位が上であるとハッキリと示された場面だ。



そして最後まで明らかにされなかった、ピンクの光り輝く宝石。
劇中で私たちにヒントは

*世界に二つだけしかない
*丸い
*とても貴重

これのみ。
これはもしかしてもしかすると..........性転換したエリの体の一部だったものなのではない..........だろう..........か..........

なんかこう、生命のパワー的なものを放っているのだ。
実際本当にマンガみたいにピカーっと光っていた。

世界に二つだけ、これが大変気になるのだ。

12歳の何も知らない少年になんてもの見せてくれるんだエリよ。


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しかし気になるのは世界に二つだけしかないものなのに、なぜ一つしかないのか。
よくよく考えたらエリの飲む血を収穫する係のホーカンは仕事をしていなかった。
殺した人たちの懐に入っていたお金だけで生活できるものなだろうか?出来ないと思う。
よって、エリのもう一つの宝石は売ってしまったのだろう。そしてこれはもうエリが男の子には決して戻れなくなったということでもあるだろう。





この劇中で気になることは、
オスカーはエリに好きだよ好きだよと何度も言うが、エリは1度もそんなこと言っちゃいないのだ。




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たまらず抱きしめちゃったりしている。かわいい。


しかし言葉以上にエリがオスカーを愛し、お互い愛し合っていると確信できるシーンがある。

エリの部屋に来た刑事をエリが食い殺すシーンだ。

最初、オスカーとエリのいた部屋に入ってきた刑事からエリを守ろうとオスカーはナイフで立ち向かおうとする。




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必死にエリを守ろうとするオスカーだが、自分で自分に制御が効かない。

そんな時、エリが刑事につかみかかり食い殺す。


そして刑事の死体を横目に2人は抱き合い、オスカーはエリに「ありがとう」と言うのだ。


このありがとうは「恐怖を倒してくれてありがとう」ではない。
「自分に人殺しをさせないでくれてありがとう」だと思うのだ。

エリはホーカンには何の躊躇もなしに人殺しをさせ犯罪者への道を歩ませた。しかしオスカーには自分が人殺しをしてまでそんなことさせたくないのだ。


ここまでホーカンは利用されていたかのようだが、エリはホーカンのこともしっかり愛している。

ホーカンは年を取らず美しいままのエリと、老いてゆく自分のギャップに悩んでいた。
しかし、死に際、プライドも何もかもかなぐり捨てて、ボロボロの体で「エリ!!私の天使!!!」と叫び、エリに手を伸ばし触れようとする姿は信仰心にも似た愛だった。

エリもそれを理解していて、ホーカンが唯一愛するエリによってホーカンはその命を絶つ。




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しかしエリからホーカンへの愛は恋愛ではなく家族の愛に近い気がする。だから劇中でエリは「愛している」ではなく「本当に感謝している」とホーカンに何度も言うのではないだろうか。




エリは言葉には出さないものの、
自分からぐいぐいオスカーに話しかけていったり、

自分からベッドに潜り込んだり、

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抱きついてみたり

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ダンスの曲中にオスカーからキスして、もう1回とねだってみたり、

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さらにキスを迫る迫る。

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まあまあ肉食系女子
吸血鬼なだけのことはある。

最初自分から「あなたとは友達になれない」とか言っていたのはどうしたエリよ。


しかし初めて経験する恋に恐る恐る答えていくオスカーがもう半端なくかわいい。
初めて梅干を食べてみようとする赤子を軽く飛び越えるほどかわいい。
内心「いけ、エリ!」と思ってみていたことは内緒だ。




そしてこの舞台で驚かされたのは、オスカーの表情。

鼻水も涙もすべてを垂れ流し、
最後エリを追うオスカーに小瀧望なんて微塵もいなかった。


のんちゃんだったら鼻水は拭うし、あそこまで顔を崩して演技することなんてない。



もう本当にオスカーだった。



そしてエリに出会う前

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エリと出会った後、

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最後エリと生きていくと決めた時、
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本当に素晴らしかった。

最後、エリの入った箱を持ち汽車に乗るオスカー。
車掌さんに何が入っているのと尋ねられ、

「色んなもの、....全部です。」

と答える。

エリが自分のすべてだったホーカンとエリの部屋にエリが寝るための箱しかなかったように、

オスカーにとってもエリは「全部」なのだ。


エリが刑事を食い殺した後、一度はオスカーに別れを告げる。そしてエリはオスカーに、明るい世界で普通に生きていくように言い残し、オスカーが泣きながら必死で止めるも虚しく姿を消してしまう。



しかしその後のお母さんとオスカーのシーンで、お母さんはリビングで寝てしまい、オスカーは毛布をかけてあげてそれを見つめる。
この時に後ろで時計の秒針の「チッチッチッ」という音が流れている。

実はこれがお母さんとオスカー最後の夜になることが後に分かる。

この時からオスカーはもう後にエリと再会することを知っていたかのようだし、
エリがオスカーを助けてから2人で汽車に乗るまで会話はなく、お互いこうなることが当たり前だったかのような雰囲気を醸し出している。

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汽車の中で、箱の中のエリに向かってオスカーはモールス信号を打つ。
中からエリも打つ。

観客はその内容を知ることなく幕はしまるのだが、
これはオスカーが「エリ」、
エリは「オスカー」と打っている。


オスカーがエリの名前を最初に呼んだのは口でではなくモールス信号だった。
言いたいことを言えずに孤独に暮らしていた2人だけの会話手段、モールス信号。

映像化はされなくても、
今年にシアターBRAVA!が無くなってしまっても、

これからもずっとあの2人が作った雪に覆われた愛の世界は一生残り続けるに違いない。