思いっきりいまさらなMORSE解釈。
MORSEは我らが国民的弟、小瀧望の初座長舞台だった。
12歳の何も知らない少年になんてもの見せてくれるんだエリよ。
エリは言葉には出さないものの、
私がのんちゃんのスノードームの世界に入ったのは
12/10の大阪のシアターBRAVA!、19:00〜の公演だった。
今まで関西ジュニアの舞台は見てきたが、担当グループの誰かの単独主演という舞台が初めてだった。
今回は、MORSEを観た多くの人が謎に思った照明や効果音、意味深なセリフの言い回しを解釈していこうと思う。
冒頭からオスカーはパンイチで登場する。閉じ込められたようなガラスケースの中からガラスを叩き、「ブタ..........何見てんだよ..........ブタ..........!」と繰り返す。
原作の映画でこのシーンは、オスカーが夜の窓ガラスに映る自分に向かって言っているのだ。
オスカー、この時点でだいぶ自分がお嫌いなようだ。
学校ではいじめられ、
母は飲んだくれで息子に少し過保護な愛情を注ぎ、
父は別居し同性愛者の彼氏と同居し父親という役割を放棄、
おまけにオスカーの住むスウェーデンは曇りか雪が多い、だいぶ気分が滅入る気候だ。
そんな孤独な少年オスカーが、同じく孤独な少女エリと出会い恋をし、共鳴していく。
エリちゃん。
彼女は昔昔に性転換している。
彼女が性転換したのはいつなのか?
200年前の医療技術での性転換というのは相当な苦痛をしいられたはずである。なぜそこまでしんどい思いをしてまで性転換したのか?
それは吸血鬼だからである。
実際エリちゃんは自分より力のある男の人をパートナーとして獲得して今まで生きてきている。エリは年を取らず、ひ弱な小学生のままで行き続ける、故に助けてくれる男の人がいる方がいいに決まっている。
また、劇中でもあるようにエリは誰かに「入ってもいいよ」と言われないとどこかに入ることも出来ない。
一人では生きていけない存在なのだ。
吸血鬼になってしまったきっかけも詳しくは描かれないが、相当壮絶な出来事だったのだろうと察する。その中で吸血鬼として一人では賢く生きていくためにはどうしても性転換が必要だったのかもしれない。
この劇中で吸血鬼のことは「アレ」と表現され、決して「吸血鬼」「ヴァンパイア」とは呼ばれない。でものんちゃんの自身は舞台の告知の際のラジオで「吸血鬼の女の子」と言っているし、原作の映画でもエリのことを「吸血鬼」とオスカーが言う。
これは、エリを吸血鬼というイメージにとらわれがちな言葉だけで割り切ってしまうのではなく、あくまでも孤独だけど強いけれど、決して一人では生きていけない「エリ」という存在について考えて欲しかったからなのではないかなと思う。
確かに私から観たエリは吸血鬼というよりも、「人食い」という感覚の方が近かった気がするし、
ニンニクが嫌いで、日光に弱くて、十字架が苦手で、というようなイメージが頭をよぎることなく、エリとは一体どういうモノなのだろうと考えることが出来た。
エリは「吸血鬼」ではなく「エリ」なのだ。
そして、オスカーが昔飼っていた犬のブルーノ。
このブルーノは2つの重要な役割を果たしている。
1つ目は「臭いの象徴」。
エリの臭いを嗅いだ時にオスカーはエリの臭いを2つの言い方で表現する。
「包帯で巻いた傷口が膿んだ臭い」
まあまあエグい表現をとっさに思いつくもんだオスカー。
「濡れた犬の臭い」
ここから「昔犬を飼っていたんだ」とブルーノの話になる。
傷口が膿んだ臭いなんて、傷口はマキロンで消毒殺菌が常識の現代で嗅ぐことなんてほとんどない。
しかし犬の臭いはなんとなく飼ったことがない人でもわかるだろう。
そして原作の方にこの犬の表現はない。
見ている人にわかりやすいようにしているのだ。
2つ目は、オスカーの心の居場所、
飼い犬の故ブルーノくんが再登場するのは二幕。
「入ってもいいよって言わなかったらエリはどうなってしまうのか実験」をオスカーがした時だ。
入ってもいいよと言われなかったのにオスカーの部屋に入ってしまったエリは目やら頭皮やら背中やらから血がシミ出てきてそりゃあもう大変なことになる。
痛みに静かに耐えるエリを見て慌てたオスカーは自分のイタズラがやってはいけなかったことだと気付きエリをとっさに抱きしめて、「入ってもいい!いいよ!」と叫ぶ。
エリ「カーペット、血で汚しちゃってごめんなさい」
オスカー「いいんだ、ブルーノのせいにするから!、
あ、もう死んでたんだった。」
ここで暗転する。
このセリフで区切ることが不思議な人も多かったのではないだろうか。
これは恐らく、今まで暮らしてきたこの家での思い出や過去よりも目の前のエリの方の優先順位が上であるとハッキリと示された場面だ。
そして最後まで明らかにされなかった、ピンクの光り輝く宝石。
劇中で私たちにヒントは
*世界に二つだけしかない
*丸い
*とても貴重
これのみ。
これはもしかしてもしかすると..........性転換したエリの体の一部だったものなのではない..........だろう..........か..........
なんかこう、生命のパワー的なものを放っているのだ。
実際本当にマンガみたいにピカーっと光っていた。
世界に二つだけ、これが大変気になるのだ。
しかし気になるのは世界に二つだけしかないものなのに、なぜ一つしかないのか。
よくよく考えたらエリの飲む血を収穫する係のホーカンは仕事をしていなかった。
殺した人たちの懐に入っていたお金だけで生活できるものなだろうか?出来ないと思う。
よって、エリのもう一つの宝石は売ってしまったのだろう。そしてこれはもうエリが男の子には決して戻れなくなったということでもあるだろう。
この劇中で気になることは、
オスカーはエリに好きだよ好きだよと何度も言うが、エリは1度もそんなこと言っちゃいないのだ。
たまらず抱きしめちゃったりしている。かわいい。
しかし言葉以上にエリがオスカーを愛し、お互い愛し合っていると確信できるシーンがある。
エリの部屋に来た刑事をエリが食い殺すシーンだ。
最初、オスカーとエリのいた部屋に入ってきた刑事からエリを守ろうとオスカーはナイフで立ち向かおうとする。
必死にエリを守ろうとするオスカーだが、自分で自分に制御が効かない。
そんな時、エリが刑事につかみかかり食い殺す。
そして刑事の死体を横目に2人は抱き合い、オスカーはエリに「ありがとう」と言うのだ。
このありがとうは「恐怖を倒してくれてありがとう」ではない。
「自分に人殺しをさせないでくれてありがとう」だと思うのだ。
エリはホーカンには何の躊躇もなしに人殺しをさせ犯罪者への道を歩ませた。しかしオスカーには自分が人殺しをしてまでそんなことさせたくないのだ。
ここまでホーカンは利用されていたかのようだが、エリはホーカンのこともしっかり愛している。
ホーカンは年を取らず美しいままのエリと、老いてゆく自分のギャップに悩んでいた。
しかし、死に際、プライドも何もかもかなぐり捨てて、ボロボロの体で「エリ!!私の天使!!!」と叫び、エリに手を伸ばし触れようとする姿は信仰心にも似た愛だった。
エリもそれを理解していて、ホーカンが唯一愛するエリによってホーカンはその命を絶つ。
しかしエリからホーカンへの愛は恋愛ではなく家族の愛に近い気がする。だから劇中でエリは「愛している」ではなく「本当に感謝している」とホーカンに何度も言うのではないだろうか。
エリは言葉には出さないものの、
自分からぐいぐいオスカーに話しかけていったり、
自分からベッドに潜り込んだり、
抱きついてみたり
ダンスの曲中にオスカーからキスして、もう1回とねだってみたり、
さらにキスを迫る迫る。
まあまあ肉食系女子。
吸血鬼なだけのことはある。
最初自分から「あなたとは友達になれない」とか言っていたのはどうしたエリよ。
しかし初めて経験する恋に恐る恐る答えていくオスカーがもう半端なくかわいい。
初めて梅干を食べてみようとする赤子を軽く飛び越えるほどかわいい。
内心「いけ、エリ!」と思ってみていたことは内緒だ。
そしてこの舞台で驚かされたのは、オスカーの表情。
鼻水も涙もすべてを垂れ流し、
最後エリを追うオスカーに小瀧望なんて微塵もいなかった。
のんちゃんだったら鼻水は拭うし、あそこまで顔を崩して演技することなんてない。
もう本当にオスカーだった。
そしてエリに出会う前
エリと出会った後、
最後エリと生きていくと決めた時、
本当に素晴らしかった。
最後、エリの入った箱を持ち汽車に乗るオスカー。
車掌さんに何が入っているのと尋ねられ、
「色んなもの、....全部です。」
と答える。
エリが自分のすべてだったホーカンとエリの部屋にエリが寝るための箱しかなかったように、
オスカーにとってもエリは「全部」なのだ。
エリが刑事を食い殺した後、一度はオスカーに別れを告げる。そしてエリはオスカーに、明るい世界で普通に生きていくように言い残し、オスカーが泣きながら必死で止めるも虚しく姿を消してしまう。
しかしその後のお母さんとオスカーのシーンで、お母さんはリビングで寝てしまい、オスカーは毛布をかけてあげてそれを見つめる。
この時に後ろで時計の秒針の「チッチッチッ」という音が流れている。
実はこれがお母さんとオスカー最後の夜になることが後に分かる。
この時からオスカーはもう後にエリと再会することを知っていたかのようだし、
エリがオスカーを助けてから2人で汽車に乗るまで会話はなく、お互いこうなることが当たり前だったかのような雰囲気を醸し出している。
汽車の中で、箱の中のエリに向かってオスカーはモールス信号を打つ。
中からエリも打つ。
観客はその内容を知ることなく幕はしまるのだが、
これはオスカーが「エリ」、
エリは「オスカー」と打っている。
オスカーがエリの名前を最初に呼んだのは口でではなくモールス信号だった。
言いたいことを言えずに孤独に暮らしていた2人だけの会話手段、モールス信号。
映像化はされなくても、
今年にシアターBRAVA!が無くなってしまっても、
これからもずっとあの2人が作った雪に覆われた愛の世界は一生残り続けるに違いない。
大阪城ホールとラッキィィィィィィィ7〜奥の方まで見えてるよ(б∀б)〜
1/4,2部と3/24,2部の大阪城ホールでのラキセ、
「ラッキィィィィィィィ7」に参戦した。
運よくスタンドとアリーナにそれぞれ1回づつ入れた。
また、これは驚いたことなのだが、
まるでジャニーズのコンサートをすることを前提としたかのように女性トイレの数が多い。
男子トイレはアリーナ階まで降りなければ存在せず、9箇所あるうちの3箇所(そのうちひとつは臨時で女性用になることも)しかない。
また、大阪城ホールは音の反響をまったく抑えるのではなく少し響くようにしてある。
この響く時間、残響時間は1,45秒。
会場のいろんな場所で録音してもライブっぽい音質になりつつも聞こえにくくない奇跡の比率なのだ。
これは座席や最後列通路を布張りにしたりすることによって調整されている。
ジャニーズのアイドル皆がライブで意識すること、
それは「ファンとの距離」だ。
KinKiのように2人が常に遠いライブもあるが、ジャニーズWESTはファンとの距離の近さを大事にしている。
バクステ及び通路の高さは200cm、
メンバーの平均身長は約176cm、
20〜40代日本人女性の平均身長は158cm
そしてアリーナから客席の高さは約220cm
つまりこういうことになる..........!!!!
(図は照史くん)
緑ジャスミンは神ちゃんの絶妙な角度の上目遣いを獲得です。
そして20cm盛ってもなお見上げなければならないツインタワーのツインタワーっぷり。
そして紫ジャスミンおめでとうございます。
スタンド最前ならばめでたく自担と同じ目線の世界を共有です。
そして基本的に建築を考える際には、人間の視野のことも考えます。
スタンド及び立ち見席の角度は明らかに、細部が見える範囲内。
そして大阪城ホール会場内の照明の範囲はスタンド最後列頭上約2m。
つまりメンバーのいう「奥の方まで見えてるよ〜」は本当に奥の方まで見えているのだ。
そして単純計算で20cm×15段=300cm
これはスタンド最前からトロッコ通路までの高さ。
座席幅(縦)は45cmとすると、スタンド13列目までは確実に全体の形を瞬時に確認出来ている計算になる。
つまり製品的に決められているステージの高さと高身長を活かした彼らと大阪城ホールの組み合わせは文字通りの「最強タッグ」なのである。
次は落下物や特効などについて考察する。
なにわ侍と日生劇場の最強タッグ。(2)
さて、この日生劇場はオーケストラや合唱を行うことがあまりなく、ほとんどがジャニーズの舞台のようなお芝居が中心だ。
なぜなのか。
音響設備が良すぎるのだ。
音があまり響かずに、混ざり合わず、舞台で出た音がそのまま増幅されることなく聴こえる。
エコーがとてもかかりにくい構造になっているのだ。
つまり何が言いたいかというと、
そんな会場でも思いっきり全体に響き渡る神濵のビブラートはすごいということだ。
ジャニーズの舞台はマイクを使うため、スピーカーを通して会場全体にムラなく音が広がる。スピーカーをたずさえた日生劇場は、自担の声や息づかいがエコーすることなく聴こえる最強の劇場である。
だからジャニーズの舞台は日生劇場が多いのだ。
日生劇場はエコーが効かない分、隠しスピーカーの数も多い。
お気づきの方も多いと思うが、他の劇場で聴く自担の声の方がマイクを通した音+地声だと認識しやすい。
地声がそれなりに入っているのだ。
しかし、例えば、日生劇場で行われたなにわ侍で、
もしスピーカーが少なかったとしたら、
淳太くんの「お前から言っといてなんで泣いたんや」は日生劇場のエコー対策万全な壁へしゅるしゅると吸収され、
オンリーロンリーの冒頭は、何か舞台中央でぼそぼそつぶやきながら照れる27歳成人男性。
そこに残るのはヲタクの萌と笑いと
中間淳太(27)の羞恥心のみだっただろう。
座席の種類は、1階・中2階・3階席の3種類。
日生劇場は段差がなく傾斜がかなり緩いので、とにかく前の座席の方々の頭が視界に入ってしまうケースが多い。
また、何階の席でも共通して言えるのが両端よりは中央席が確実に見やすい。
日生劇場の客席通路は、
演者が通るには若干狭いが、
普通の通路にしては広いという絶妙なサイズ。
手を握った濵田 Pと照史くんのビジネスイチャコラを本当に目の前で見ることが出来るのだ。
つまり、演者が舞台から降りてきた時にとにかく近い。
とても近い。
よって、通路側の席は毎回神席と化す。
そして傾斜が緩いが故に、舞台から降りてきた時に1階後列
であっても近さを感じる。
しかし元々構造的に音響が悪くなりがちなところを壁の角度や材質で補っているためいかんせん少し水に潜ったような聞こえ方がするのが唯一の欠点だ。
そしていいのは1階だけではない。
中2階の席はまさに体力に自信が無いヲタクには格好の場所。
1,ほどよい高さで舞台全体を見渡せる。
2,全部で2列しかないからストレスなく観劇できる。
3,前がひらけているため音響が抜群に良い
これで防振双眼鏡なんてあった日にはもしかしたら1階前列よりもゆったりと、自担の汗や涙やその他もろもろを観ることが出来るのだ。
照史くんの奥歯の治療跡まで見えたりするのだ。
そして日生劇場の天井は真珠を育てる?のに使用するアコヤ貝がめいっぱい貼られており、これらは光を反射してキラキラと輝く。
また会場は丸く、舞台に立つと客席から囲まれるような感覚にする作りになっている。
あの日、ジャニーズWESTの7人は、ええじゃないかで幕が開いた時、
文字通りキラキラ輝く会場の中に、
多くのファンが涙し、喜ぶ姿に囲まれながら
包まれるような大歓声を浴びたのであろう。
なにわ侍と日生劇場の最強タッグ。
デビュー記念舞台「なにわ侍ハローTOKYO」。
ジャニストにもジャスミンにとってもバイブルとなっていくDVDの一つだと個人的に思っている。
建築を勉強していく中で、劇場を知ればジャニーズの舞台もライブも何倍も楽しいものになると思ったのがこのブログを始めようと思ったきっかけだ。
さて、今回取り上げるのは「日生劇場」。
始まり〜はこの時〜このステージ〜から〜♪
と重岡くんが手をかざしたそのステージだ。
まずこの日生劇場の名前、照史くんが
「日+生=星(スター)が生まれるようにって意味なんやって!」と言っていた。
そのとおりだ。
望を叶えるには流れ星が必要なわけだ。
そして、もう一つの意味は「日本生命の劇場」という意味でもある。
あっ、待って、ここで興味を失わないで、
大阪から東京に進出してくる際に「東京でいっちょかましたるぞ!」という意気込みを持ってズドンと建てたもの。
ここで「てっぺんとったるぞ!」という意気込みを持って、東京に進出したジャニーズWESTの初めてのデビュー記念舞台が行われたこと、
激アツ以外の何ものでもない。
しかもジャニーズの中でスタッフさんたちと撮った写真が舞台裏に飾られているのはジャニーズWESTだけというではないか。(デビュー記念舞台だということもあったかもしれないが)
なんだか「大好きだジャニーズWEST」と聞こえてきそうな待遇。
ドヨルのエージェントでお馴染みのボスのような愛情を注いでくださった日生劇場さんには感謝感謝の一言だ。(一言ではない。)
本当に偶然かもしれないが、
関西が彼らのデビューを祝い、
ジャニーズの先輩が後押してくれた中で、
こうして同じ関西からの企業が提供してくれた場所で、
関西はもとい全国のファンに祝ってもらったような気がしてくる。
ちなみにこの日本生命さんは、
あさが来たでお馴染みの榮三郎(照史くん)が経営していた大同生命保険のライバル会社だ。
ドラマの中で「他の大きな生命保険会社は〜」と言っている時にはこの日本で3番目に出来た日本生命のことを指していると言っても過言ではない。
次は日生劇場作りととなにわ侍について考察したいと思う。